FC2ブログ
韓国旅行思い出し日記3-3
前々から書かないと忘れる~と思ってた韓国旅行記の続きです。
城北洞散策、「吉祥寺が良かった」というところで終わった前回の続き。
城北区の映画祭ももうすぐだし記憶を絞り出して記録しておこうと思います。
ご一緒に散策している気分で読んで頂けたら嬉しいです。


「ここからはずっと登り坂でちょっと大変ですよ」とガイドのヨンランさんが仰いました。
なるほど、緩やかですが視界のずっと上まで登り坂が続いているみたい。
でも、左右の邸宅をみながらなので飽きずきつく感じません。
邸宅、という名にふさわしい大きなお家ばかり。。。
時々、すれ違う人はこのリッチな立地に(笑お住いの方なのだろうか。
そんなことを思っていたらヨンランさんがタイミングよく教えてくれました。
「ここですれ違う歩行者はここの住人ではないことがほとんどですよ。
なぜならここの住人は一人に一台の車移動がほとんどですから」
なるほど~~。そのうちに目的地、吉祥寺に到着しました。
IMG_3098_convert_20160322183532.jpg
おぉ、ここがあのギルストーリーにも登場する吉祥寺か。ナムギルの「キルサンサ」
という声が頭の中でこだまします。
お寺に足を踏み入れると、平日の朝なんだけど結構人がいることが意外でした。
皆さん韓国人ですよ。散歩に来た風であったり、宿坊みたいなのに宿泊している
ようだったり、ソウルの人に愛されているお寺なんですね。
ここでヨンランさん「私、ちょっとお手洗い行ってきますのでちょっと待っててください」と
いなくなる。「はーい」と待ってたときに撮った写真。
IMG_3099_convert_20160322185333.jpg
しばしぶらぶらしながら待ってたんですけど、全然戻ってこないヨンランさん。。
どうかしたのかな?とトイレの方に様子を見に行く途中でやっと戻って来たヨンランさん。
両手に紙コップを持って。。「寒いのでコーヒーどうぞ」と。。。。まぁぁ「コマスミダ~」
紙コップで両手を温めながら聞いた話。


キルサンサ(吉祥寺)の物語
この吉祥寺は元は料亭でした。
料亭の女主人キムヨンハンがこの料亭を寄進(寄附)して
このお寺になりました。

キムヨンハンは裕福な家に育ったお嬢様だったが父の
死後、家が傾き若くして嫁ぐことになった。しかし、その夫とも早くに死に別れ
なんと、妓生として売られてしまう。しかし持ち前の性格で砂を噛むような努力をし
一流の妓生として芸を磨き頭角をあらわし始める。

そんな中、ある高官(シンユンググ)に見込まれて日本へ留学することになる。
(後から調べたところによるとキムヨンハンは随筆を発表するなどの文才を発揮。
独立運動家の申允局(シン・ユングク)がこの才能を高く評価、1935年、
日本へ留学させた。とある)
日本で数年学んでいたおりその恩師が日本の官憲により収監されたことを知り、
政界の人間とも接点を持てる料亭の妓生となったら、恩師を助ける
ことができるかもしれない、再び会うことができるかもしれないと考え
留学生として勉学にいそしむ日々を捨て再び妓生となるべく韓国へ舞い戻る。

そうすること数年、面会は仲々叶わず妓生として
生きる日々。ある時、料亭を訪れていたペクソクという英語教師と出会う。
ペクソクも日本への留学経験があったためか二人は意気投合しどんどん親密に
なっていく。ペクソクは詩人でもあった。そして朝鮮3大美男とも言われるほどの
美男子。(写真をみせてもらいましたがその冠に異議なし)

お互いに深く愛し合う仲となった二人だったが、ペクソクの家族には
認めてもらえず途中、ペクソクは親が決めた相手と結婚させられたりもした。
しかし逃げるようにしてヨンハンの元に戻った。そんなことが何回かあった。
離れられない二人。ペクソクはヨンハンに「共に満州に行こう」と、駆け落ちしようと
するがヨンハンは「ここで自分がついて行ったら彼のためにならない、彼は
幸せにはなれない」と判断し、身を引く形でペクソク一人を満州へやってしまう。
しかし、南北が分断されてしまったので二人は二度と、会うことはなかった。

ヨンハンはその後、経営手腕を発揮してこの城北の広大な土地を
購入。大料亭の女主人として余生を過ごすが最期までペクソクを想い続けた。
後年、ポプチョン僧侶の名著「無所有」に出会って感銘を受けたヨンハンは
この広大な土地すべてをポプチョン僧侶に寄贈したいと申し出る。
(「赤と黒」マニアの方ならお気づきでしょうか、この「無所有」という本、シン夫人が
独房でしれっと読んでた本ですよね。無所有とは縁遠いシン夫人、どういう
つもりで読んでたんでしょうかね?笑)

しかし、ポプチョン僧侶は「この土地を受け取ることは自分の無所有という
ことに相反してしまう」との思いで、その申し出を断り続ける。
しかし引かないヨンラン。この「あげる、受け取れない」のやり取りがなんと10年近く
続いたそうです。ついに1995年にヨンハンの強い意志に折れてポプチョン僧侶が
受け取った。それってそう昔ではないのね?って思いますよね。
ヨンハンは1916年に生まれ没年が99年です。
ですから、ソウル市民のアジョッシなんかは
「ここに昔、家族で焼肉食べに来た~」なんて思い出もあったりするらしいです。

ペクソクは1912年~95か96。1945年の解放後も朝鮮北部で暮らし続けたが
1960年頃から消息が途絶え没年もはっきりしないようです。
ヨンハンは、この土地を寄進した時に、「金祥華(キムサンファ)」という法名を受けた。
それにちなんでこの「吉祥寺(キルサンサ)」という名前になったそうです。
後で調べたところによると、この料亭は7000坪、時価総額1千億ウォン。。。
それを丸ごと寄附ということに世間では大騒ぎになり
寄進に際して、後悔しないか?という質問もあったけれどヨンハンは
「後悔なんて。1千億円くらいあの方の詩の一行にさえ及ばない」と答えたそう。

ヨンハンの遺言は「私が死んだら火葬して、初雪が降った日に遺灰を吉祥寺の
松の木にまいて欲しい」というものだった。その遺言は守られ
ヨンハンは今も吉祥寺に眠っている。
IMG_3100_convert_20160512125324.jpg

ここまで長文を読んで頂き、ありがとうございました。
お疲れさまでした
[2016/05/12 12:58] | 旅行 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<韓国旅行思い出し日記3-4 | ホーム | よっ!委員長!>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
http://kimnamgil-mamire.info/tb.php/874-d0cf2fac
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
キム・ナムギルまみれ


プロフィール

MINA

Author:MINA
韓国俳優キム・ナムギルが
好きすぎる私の毎日は
キム・ナムギルまみれ

そんな私の日記ブログです

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

フリーエリア

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR