バーニング
金曜日にずっと気になっていたイチャンドン監督の映画「バーニング」を観にいきました。
ベースが村上春樹の短編「納屋を焼く」なので、こちらも読んでみましたが、最後、で?女の子は殺されちゃったの?っていうモヤモヤ感が消えずスッキリしなかったのです。でも映画は、より肉付けされたものでモヤモヤも感じなかったのでよかったです。
抽象的で解釈は観客に委ねます、みたいなのはちょっと苦手なんだよねぇ。こんな言うとちょっと馬鹿っぽいんだけどw
それと小説の方では男二人が大麻を吸いながらする会話の感じが苦手だった。。。もし実際にこんな会話してる男達を前にしたら、後ろから後頭部をハリセンでハリたくなる衝動を抑えられない気がするくらいイラッとしたんだけど、映画ではその景色や俳優の話し方、間の取り方、時間の流れがゆっくりで全くそういう感じには思わなかった。小説の中のセリフも大事なとこだけ使われてる感じだったし。
ユアイン演じる主人公の男が小説とだいぶ違うから、そこも良かったのかも。
一見、明るく自由奔放にみえるけど、本当は折れそうでいつも何か欠乏感を抱えているような孤独な女の子の悲しみとか。。。
主人公の若者の境遇も格差社会の閉塞感とか韓国の若者がみたら辛くならないかと思うようなところもあって。。。。若者が希望を持ちづらいのは日本も同じような感じですけれどね。本当に何か燃したくなるんじゃないかと思いました。
一緒に行った友達がテレビでやったものをみたらしいんですが、それは短いものだったそうで劇場版は148分だったそうです。その長さをあまり感じないほど没入できました。
いくつか胸が詰まったシーンとか内容があったんですけど女の子が住んでる部屋。
すごい狭いマンションの一室。1階じゃないけど陽当たりも悪くて昼でも薄暗いような部屋に一瞬だけ、近くのソウルタワーのプリズムみたいなのに反射した七色の光が射す時があるんだけどすぐすーっと消えちゃう。そのことは女の子も知ってて主人公の男に話しているんですけども。。あまりに儚くてねぇ。。美しい瞬間はすぐ消えて現実は薄暗くて。似たようなシーンがシークレットサンシャインに、あったのを思い出しました。でもそちらは温かさや希望を感じたんだけど、こちらは悲しかったななんか。。。
あと井戸の話かな。
家族にも全然理解されてないし愛されてないし、女の子がかわいそうで。。。
そういういろんな比喩的なものも含みつつの深みもあるし、単純にミステリーとしても面白かったです。
この映画で何かスイッチが入っちゃったという事もあると思うけど、前々から歩きたいと思ってた処に映画が終わってから行ってみました。
逆方向に帰る友達と別れてから、時間ももう夜10時半を回ってたんですが。。。
そこはちょうど、その映画館の沿線の駅でいつも通勤で週一で通り過ぎるのですが、寄る時間もなくて行きそびれていたんですよね。
私が子供の頃、7年間ぐらい住んでた地域で、家は二駅利用可っていう、どちらの駅からも近くない中間の場所にありました。
同じエリア内で引っ越しして引っ越し後の家には一度、10年以上前に母と行った事があったのですが、最初に住んだ家にはもう40年ぐらい行った事がなかったのでその家があるかどうかもわかりませんでしたがとりあえず、記憶を辿って行ってみることに。
道路というか道筋はあまり変わらないものですね。建物や雰囲気は違うけど、だいたい同じです。中学生まではそのエリアに居たので
記憶もはっきりしてますし。
それにしても道幅がこんなに狭かったっけ、駅からこんなに近かったっけ?とずっと不思議な感じがしてました。物理的に身体の大きさも違うからそう感じるとは思うけど、空間を認識する容量が子供の頃って、小さいのかな。子供の頃は街はもっと大きかった気がしてたし駅はもっと遠かった。
ついに最初に住んだ家の近くまで来ました。急坂の途中にある白い家だったんですけど。。。
当時の近所のお家が意外にそのままある事にびっくり。これは期待できると思ったら、ありました!本当に時がとまったようにそのまま。。。
夜遅くに他人の家の写真を撮って怪しい奴ですが撮ってしまいました。そしてそれをのせるのも
どうかと思うんですが一部分だけ。。。
私以外の人にとっては何も面白くない写真ですけど

私にとっては、この丸がついてる黒いフェンスも懐かしく、白い雨戸をみればここを朝夕開け閉めしていた若かりし母の姿が浮かんでくる(母は存命中です^ ^)
涙が出てしまいました。その頃の事が感覚的に甦ってきて。。。両親に守られて何の不安もなくて毎日、いきいきしてた子供の頃。
今が特に不幸な訳じゃないけどあの頃は絶対的に幸せだったんだなぁと、そしてそれは二度と戻らないんだと
さっきみた映画の一瞬の美しい光と重なってしまって、悲しくなってしまいました。
懐かしさで楽しくなるかと思ったのに、こんなに悲しくなるとは。
家が2駅の中間にあるので、さっき降りた駅の隣の駅まで歩きます。その道も基本的には変わってなかったです。道幅が狭いのは自分の身幅が広がったせいだけではありますまい(^^)
小学校の通学路だった道を通りましたが当時から変わらない住宅なんかが意外に残ってるのは驚きでした。
日常の中の非日常で、ちょっとしたタイムスリップ気分でした。
もう一箇所、もっと小さい頃に住んでたところで訪ねたい場所があります。名古屋の春日井市なんですけどいつか機会があればいいと思います。まだ空き地がたくさんあってクローバーやレンゲの中で遊んだ記憶が雲雀のさえずりと共に思い出されます。母が妹出産で入院中だった時に、いつも忙しく殆ど家にいないような父と珍しく二人で過ごした時間が数日あって、夜寝るときに父が「みなちゃん」が主人公のオリジナルなお話し(連続物)を作ってしてきかせてくれたりして、父がうとましかった時期もあったけど思えばいいお父さんだったじゃないの。。。。
とりとめもない話しになってきたのでこの辺で終わりにします。永遠には続かない幸せでも、無いよりは良いですよね。。。
ベースが村上春樹の短編「納屋を焼く」なので、こちらも読んでみましたが、最後、で?女の子は殺されちゃったの?っていうモヤモヤ感が消えずスッキリしなかったのです。でも映画は、より肉付けされたものでモヤモヤも感じなかったのでよかったです。
抽象的で解釈は観客に委ねます、みたいなのはちょっと苦手なんだよねぇ。こんな言うとちょっと馬鹿っぽいんだけどw
それと小説の方では男二人が大麻を吸いながらする会話の感じが苦手だった。。。もし実際にこんな会話してる男達を前にしたら、後ろから後頭部をハリセンでハリたくなる衝動を抑えられない気がするくらいイラッとしたんだけど、映画ではその景色や俳優の話し方、間の取り方、時間の流れがゆっくりで全くそういう感じには思わなかった。小説の中のセリフも大事なとこだけ使われてる感じだったし。
ユアイン演じる主人公の男が小説とだいぶ違うから、そこも良かったのかも。
一見、明るく自由奔放にみえるけど、本当は折れそうでいつも何か欠乏感を抱えているような孤独な女の子の悲しみとか。。。
主人公の若者の境遇も格差社会の閉塞感とか韓国の若者がみたら辛くならないかと思うようなところもあって。。。。若者が希望を持ちづらいのは日本も同じような感じですけれどね。本当に何か燃したくなるんじゃないかと思いました。
一緒に行った友達がテレビでやったものをみたらしいんですが、それは短いものだったそうで劇場版は148分だったそうです。その長さをあまり感じないほど没入できました。
いくつか胸が詰まったシーンとか内容があったんですけど女の子が住んでる部屋。
すごい狭いマンションの一室。1階じゃないけど陽当たりも悪くて昼でも薄暗いような部屋に一瞬だけ、近くのソウルタワーのプリズムみたいなのに反射した七色の光が射す時があるんだけどすぐすーっと消えちゃう。そのことは女の子も知ってて主人公の男に話しているんですけども。。あまりに儚くてねぇ。。美しい瞬間はすぐ消えて現実は薄暗くて。似たようなシーンがシークレットサンシャインに、あったのを思い出しました。でもそちらは温かさや希望を感じたんだけど、こちらは悲しかったななんか。。。
あと井戸の話かな。
家族にも全然理解されてないし愛されてないし、女の子がかわいそうで。。。
そういういろんな比喩的なものも含みつつの深みもあるし、単純にミステリーとしても面白かったです。
この映画で何かスイッチが入っちゃったという事もあると思うけど、前々から歩きたいと思ってた処に映画が終わってから行ってみました。
逆方向に帰る友達と別れてから、時間ももう夜10時半を回ってたんですが。。。
そこはちょうど、その映画館の沿線の駅でいつも通勤で週一で通り過ぎるのですが、寄る時間もなくて行きそびれていたんですよね。
私が子供の頃、7年間ぐらい住んでた地域で、家は二駅利用可っていう、どちらの駅からも近くない中間の場所にありました。
同じエリア内で引っ越しして引っ越し後の家には一度、10年以上前に母と行った事があったのですが、最初に住んだ家にはもう40年ぐらい行った事がなかったのでその家があるかどうかもわかりませんでしたがとりあえず、記憶を辿って行ってみることに。
道路というか道筋はあまり変わらないものですね。建物や雰囲気は違うけど、だいたい同じです。中学生まではそのエリアに居たので
記憶もはっきりしてますし。
それにしても道幅がこんなに狭かったっけ、駅からこんなに近かったっけ?とずっと不思議な感じがしてました。物理的に身体の大きさも違うからそう感じるとは思うけど、空間を認識する容量が子供の頃って、小さいのかな。子供の頃は街はもっと大きかった気がしてたし駅はもっと遠かった。
ついに最初に住んだ家の近くまで来ました。急坂の途中にある白い家だったんですけど。。。
当時の近所のお家が意外にそのままある事にびっくり。これは期待できると思ったら、ありました!本当に時がとまったようにそのまま。。。
夜遅くに他人の家の写真を撮って怪しい奴ですが撮ってしまいました。そしてそれをのせるのも
どうかと思うんですが一部分だけ。。。
私以外の人にとっては何も面白くない写真ですけど

私にとっては、この丸がついてる黒いフェンスも懐かしく、白い雨戸をみればここを朝夕開け閉めしていた若かりし母の姿が浮かんでくる(母は存命中です^ ^)
涙が出てしまいました。その頃の事が感覚的に甦ってきて。。。両親に守られて何の不安もなくて毎日、いきいきしてた子供の頃。
今が特に不幸な訳じゃないけどあの頃は絶対的に幸せだったんだなぁと、そしてそれは二度と戻らないんだと
さっきみた映画の一瞬の美しい光と重なってしまって、悲しくなってしまいました。
懐かしさで楽しくなるかと思ったのに、こんなに悲しくなるとは。
家が2駅の中間にあるので、さっき降りた駅の隣の駅まで歩きます。その道も基本的には変わってなかったです。道幅が狭いのは自分の身幅が広がったせいだけではありますまい(^^)
小学校の通学路だった道を通りましたが当時から変わらない住宅なんかが意外に残ってるのは驚きでした。
日常の中の非日常で、ちょっとしたタイムスリップ気分でした。
もう一箇所、もっと小さい頃に住んでたところで訪ねたい場所があります。名古屋の春日井市なんですけどいつか機会があればいいと思います。まだ空き地がたくさんあってクローバーやレンゲの中で遊んだ記憶が雲雀のさえずりと共に思い出されます。母が妹出産で入院中だった時に、いつも忙しく殆ど家にいないような父と珍しく二人で過ごした時間が数日あって、夜寝るときに父が「みなちゃん」が主人公のオリジナルなお話し(連続物)を作ってしてきかせてくれたりして、父がうとましかった時期もあったけど思えばいいお父さんだったじゃないの。。。。
とりとめもない話しになってきたのでこの辺で終わりにします。永遠には続かない幸せでも、無いよりは良いですよね。。。