父のこと
興味ない方はスルーでお願いします(^^)
先日、父が亡くなり7日に荼毘に付したその夜、夢をみました。
小さな教会や素敵なお店がポツポツとある住宅街の緑道を
父と肩を並べて歩いているんです。
私がなぜかすごく笑いながら「お父さん、何で死んじゃったのよ!?」と
バシッと父の肩を叩きながら言うと、父は「お父さんも、もうちょっと
生きたかったな」と言うのですがその横顔を「笑ってないな」と思って
みている私。そのあと、無言で父と手をつないで歩いていったところで
目が覚めました。
父と手をつないだなんて恥ずかしくてそんな夢をみた自分が意外でした。
思えば、父と手をつないだ記憶がちょっと無いですね。
幼児期が最後になるんじゃないでしょうか。
一緒に暮らしていた頃は、あまり家庭的でも子煩悩でもなかった父。
その世代の父親はそういう方が多いと思いますが、とにかく仕事仕事で
家庭を顧みず、母的にはそのことでの恨み言が尽きないような父。
激烈な生き方は尊敬できるところもあるけど
個性も強いだけにいろいろあって思春期の頃には、父が嫌いだった私。
「お父さんだって人間ぞ」と言われたこともあります笑
私が社会人になった頃からはだんだん父も疎ましい存在ではなくなり
おじいちゃんになってからは、穏やかになり突然
キリスト教の洗礼を受けたりもしました。
本来のなんだかユニーク性格が前面に出てきて、
本人が意図していなくてもなにかやるだけで
ユーモラスな笑いを誘うような人になってました。
私自身は母との関係のほうが密で会話も多いけれど、父とはそれが
少ないだけに印象的な言葉というのは数少ないけれど残っています。
自分のための備忘録としても残しておきます。
受験でどちらの学校に行くが迷った時「おまえは今、牛の尻尾になるか
鳥の頭になるかの状態だからそこをどっちがいいのか考えろ」
(そういう言葉が史記に出てくるみたいです)
私が結婚する時しみじみと言った
「世の中にはいい人間と悪い人間がたしかにいるからそこは見極めろ」
思えば、節目節目にいろいろと声かけというか助言をしてくれていたのですね。
晩年は「お父さんはみんなに幸せになってもらいたいな」
最後の印象的な言葉は、弱ってきた自分の身体を感じていたと思いますが
「もっと豪快に生きなきゃだめだな」と。。。
周りにきいても口をそろえると思いますが、豪快に
生きた人生だったんじゃないかと思います。
母も、「お父さんはやりたいことをやりきって、最期は苦しまずに突然
亡くなって、人生も亡くなり方も幸せじゃないか」と言っていました。
私が、先日韓国から帰ってきたあたりで会ったときは
「俺の寿命もあと1、2ヶ月だな」と言っていた父。それをきいて
母と私も笑っていました。「いつもそんなこと言ってるよね」と母が
言うぐらい深刻な状況ではなかったのにそれが本当になってしまうとは。
別れはいつやってくるかわかりません。
これからは、そんなことを考えながら過ごしていきたいと思います。
<追記>
ブログをみてメッサージを下さったナムギルペンさまたち
本当にありがとうございました。当たり前ですけど
お一人お一人のメッセージが全部違っていて
そのどれもが心に響くことばかりでとてもありがたかったです。
悲しいけれど、辛くはないので大丈夫です。
日常が戻ってきています。皆様のお心遣いとナムギルに慰めを
もらって元気に歩いていけそうです。