韓国旅行思い出し日記3-1
キム・ヨンランさんというボランティアガイドさんと漢城大入口6番出口で
待ち合わせしていました。ここが城北洞の最寄駅になるわけですね。
東大門から近いので便利でした。
待ち合わせ場所に行くと、名前を呼びかけられました。すんなり会えてよかった。
ヨンランし、落ち着いた上品な雰囲気の奥様です。贅沢なことに
マンツーマンで案内して頂けるようです。
回ったコース

城北洞に行きたいと思ったきっかけは言わずと知れた(笑 Gilstoryの道物語です。
もともと風情ある道とか史跡なんかを散歩するのは大好きなので
ナムギルがこんなことしてくれて嬉しいです。
だいたい全行程歩くと3時間ぐらいかかるのでお昼までには帰りたいこともあり
一気にバスで上の方まで行って降りつつ回るという形にすることに。
まず最初に訪れたのが尋牛荘(シムジャン)。Gilstoryでも取り上げられていました。
詩人、僧侶、独立運動家の萬海 韓龍雲(ハン・ヨンウン)が暮らした
韓式家屋「尋牛荘」(シムウジャン)朝鮮総督府に背を向ける形であえて北向きに
建てられた家屋。牛を探す、という名前の由来は仏教の悟りに至る段階を指しているそう。
お庭に、様々な詩の一節がいくつか飾ってありました。ガイドさんに聞くと、
全部読んで訳してくれました。
本当に丁寧で日本語も堪能でいらっしゃいます。
詩の内容は、普遍的で万人に相通じる内容でしたがほとんど忘れてしまったわ。。。
ヨンランさんミアネヨ。。。ここのお庭の見晴らしは最高です。
高台なのでかなり遠くまで一望できる感じで気持ちがいい。
北向きだけど。。。こちら向きの方が普通にいいよねと思うのは私だけでしょうか。

城北洞らしいこんな道を下って次の目的地へ。
回った順番の記憶があやふやになってきてます。
多分次が李泰俊(イ・テジュン)家屋。近代小説家の家屋。
1933年から1945年までの間、執筆活動をした場所ということです。
ここに妻子と住んでいたのだけど、解放後に社会主義陣営に加担し
単身で北に行ったそうです。そこからの人生は悲惨だったそうで、自分の文学作品が
政治に利用され本意でないことも書くように強制されることに反発した為、
最後は失跡という末路をたどったとか。
今は子孫の方が素敵な伝統茶房として生まれ変わらせている家屋。
ちょうど営業時間前で中には入れなかったけれど、
ガイドさんが「ここに来るといつもとても気持ちが良い、素敵な場所です」と
イチオシされてたので、いつかまた来てみたいです。
SEOULNAVI 壽硯山房紹介ページ
因みにイ・テジュンは三大朝鮮美男の中の一人だそうですよ。
スマホで写真を見せてもらいましたがなるほど〜、でした。
次に訪れたのが李鐘奭(イ・ジョンソク)別荘。これが写真が無いのですが
豪商って言うのかな、両班並みの屋敷を建てたイ・ジョンソクという商人の
別荘だそうです。

韓国の観光サイトから写真お借りしました。
屋根の下の軒部分が二重になっていると思うんですけど普通は一重らしくて
これが重なれば重なるほど豪華だということになるそうです。
建物の構造がカギ状になってますが奥の方にある部屋が男の書斎で一段高く
作られているとか。この建物の入り口に近い方にもう一つ韓屋がありますがそれは
使用人の為の家だそうで、それすらも立派でした。
この辺りは今でも、リッチな人々の邸宅が軒を連ねています。
実際そこにお住まいではないかもですが、あのヨン様の豪邸もあるそうですね。
なんでも前面に川、後ろに山を抱くというのが風水的に最高の地だそうです。
今は川が埋め立てれてるけど、昔はまさにそういう地だったということですね。
あまりに気が強力なので気が弱い人は住めない、逆にダメになってしまう
と、まことしやかに言われてるとガイドさんが教えてくれました。
道を挟んだ反対側は(月の町)タルトンネと呼ばれるような高台の
急斜面にびっしりの家が建つ貧しい地域、この対比がなんか不思議です。
ところでガイドさんですがどこで日本語を勉強されたのか聞いてみると
今は30代のお子さんたちが子供の頃、ご主人の仕事の都合で
日本に3年間住んだそうです。代々木に住んでたということなので
都会ですね〜。でも3年間でここまで流暢にお話しされる事に感心すると
「子供の為に頑張りました。学校のことなど全部日本語だし日本語のプリントだし
必死に日本語を勉強しました」との事。オンマ強し!
二人のお子さんたちは、お母さんより日本語が上手でほぼ日本人並みに
喋れるとか。帰国してからも日本の漫画読んだりアニメ見たりしてたから、、と
言ってました。「お母さんの日本語ひどいね」と言われるとか??ご謙遜〜。
ツアーの方は後二箇所ほど回ってからいよいよ山の上の方の
吉祥寺(キルサンサ)へ足を踏み入れます。
こちらから