韓国旅行思い出し日記3-4
休みの時に書いておかないと忙しくて書けない!
ということで、続けて書きます。
吉祥寺の悲恋の長いお話をガイドさんから聞いた直後は
ちょっと興奮していた私。苦労を乗り越え成功した女性の物語としても
老女になるまで生涯、一人の人を想い続けたということも
結局、その人とは結ばれなかったということもまるで
ドラマや映画のようではないですか。すかさず、ガイドさんに
「これがモチーフになった映画やドラマは無いんですか?」なんて
聞いてしまいました。無いとおっしゃっていましたが、ガイドさん映画もドラマも
みないとのことなので実際はどうなんでしょうね?(信じてない笑)
そんな楽しい気分だったのですが、この後行ったヨンハンを祀る碑の前に
立ち、その横にあったペクソクの詩碑をガイドさんに訳してもらった途端
一転、悲しくて切なくなってしまいました。
나와 나타샤와 흰 당나귀
わたしとナターシャと白いロバ
가난한 내가
아름다운 나타샤를 사랑해서
오늘밤은 푹푹 눈이 내린다
貧しい私が美しいナターシャを愛し今宵はしんしんと雪が降る
나타샤를 사랑은 하고
눈은 푹푹 내리고
나는 혼자 쓸쓸히 앉아 소주를 마신다
소주를 마시며 생각한다
나타샤와 나는
눈이 푹푹 쌓이는 밤 흰 당나귀 타고
산골로 가자 출출이 우는 깊은 산골로 가 마가리에 살자
ナターシャを愛し雪はしんしんと降り私はひとり寂しく座って
焼酎を飲む
焼酎を飲み考える ナターシャと私は雪がしんしんと降り積もる夜
白いロバ に乗り 山里に行こう
チョウセンミソサザイがなく山里に行き あばら家に住もう
눈은 푹푹 내리고
나는 나타샤를 생각하고
나타샤가 아니 올 리 없다
언제 벌써 내 속에 고조곤히 와 이야기한다
산골로 가는 것은 세상한테 지는 것이 아니다
세상 같은 건 더러워 버리는 것이다
雪はしんしんと降り 私はナターシャを思い
ナターシャが来ないわけがない
もうすでに私の中にそっとやってきて話をする
山里に行くことは世の中に負けることではない
世の中のようなものは汚いから捨てるのだ
눈은 푹푹 내리고
아름다운 나타샤는 나를 사랑하고
어데서 흰 당나귀도 오늘밤이 좋아서 응앙응앙 울을 것이다
雪はしんしんと降り 美しいナターシャは私を愛し
どこかで白いロバも今宵が好きで ウンアンウンアンと泣くだろう
(訳は「白石詩集」青柳優子訳(岩波書店)より。問題あれば削除します。)
この詩の「ナターシャ」は自分のことだとヨンハンは言ったそうです。
ガイドさんが日本語に訳して碑の前で朗読してくれました。
3連目「ナターシャが来ないわけがない」ペクソクは駆け落ちしようと
ヨンハンを待っていたんですよね
「山里に行くことは世の中に負けることではない
世の中のようなものは汚いから捨てるのだ」この3連目あたりから
恥ずかしながら涙腺崩壊。。。
雪、白いロバ、など白い景色が浮かんできて、ヨンハンが初雪の降る日に
自分の遺灰をまいて欲しいといった遺言も思い出して。。。
うまく言えないんですけれど
そんなことが私の胸をいっぱいにしました。
またガイドさんの声がとてもよく、落ち着いたアナウンサーのようでもあり吉永小百合の
詩の朗読のようでもあり。。。ヨンハンが憑依したんじゃないかと思うくらい
涙がとまらなくなってしまい、困りました。まさか吉祥寺で泣くとはね。
机上でこの詩を読んでもここまで胸に迫ってこなかったと思います。
その地に実際行ってその話を聞いた直後のヨンハンとペクソクの碑の前での
詩の朗読。。。
その時は恥ずかしかっけど、今思うと旅の醍醐味だったなと。。。
その翌々日ソウルを発つ日に初雪が降りました。。。。
因みにこの詩は教科書にも載っているらしいです。
碑の写真も撮ったのですが、文字ばかり撮ることに気を取られ
全景がないろくな写真じゃないのでのせられません(苦笑
そこからさらに奥に進み、その無所有のお坊さんが生前よく座ってた
木の椅子などみました。本当にろくな写真がないです。
涙を止めるのに気を取られすぎていたせいでしょうかね。

すれちがったお坊さんがガイドさんに声をかけていらっしゃいました。
そして何やら一言おっしゃっていて
親しげな「〇〇ニム」という呼びかけだったのでお知り合いかと思い
今、何をおっしゃっていたのか、お知り合いなのか聞いてみたら、
「菩薩ニム(さま)」と呼びかけられて
「そんなに厚着して転んだら起きられないよ」と言われたそうです笑
「私、そんなに厚着かしらね〜」なんて笑っていたヨンランさん。
いえいえお坊さんが薄着すぎだと思う。薄着で平気なんですね。
「菩薩ニム」、、、って、女性を呼ぶときの敬称的な仏教用語?だとのことです。
日本ではそういうことは聞いたことないと思うので韓国では、だと思うのですが多分。
そうだな〜。全ての女性は菩薩じゃないですか。
多少、気にくわないことがあっても男性に対しても子供に対しても、隣人に対しても
菩薩のような心で許してあげたいですね笑
あ、だから自分のことも許してほしい笑
ということで、続けて書きます。
吉祥寺の悲恋の長いお話をガイドさんから聞いた直後は
ちょっと興奮していた私。苦労を乗り越え成功した女性の物語としても
老女になるまで生涯、一人の人を想い続けたということも
結局、その人とは結ばれなかったということもまるで
ドラマや映画のようではないですか。すかさず、ガイドさんに
「これがモチーフになった映画やドラマは無いんですか?」なんて
聞いてしまいました。無いとおっしゃっていましたが、ガイドさん映画もドラマも
みないとのことなので実際はどうなんでしょうね?(信じてない笑)
そんな楽しい気分だったのですが、この後行ったヨンハンを祀る碑の前に
立ち、その横にあったペクソクの詩碑をガイドさんに訳してもらった途端
一転、悲しくて切なくなってしまいました。
나와 나타샤와 흰 당나귀
わたしとナターシャと白いロバ
가난한 내가
아름다운 나타샤를 사랑해서
오늘밤은 푹푹 눈이 내린다
貧しい私が美しいナターシャを愛し今宵はしんしんと雪が降る
나타샤를 사랑은 하고
눈은 푹푹 내리고
나는 혼자 쓸쓸히 앉아 소주를 마신다
소주를 마시며 생각한다
나타샤와 나는
눈이 푹푹 쌓이는 밤 흰 당나귀 타고
산골로 가자 출출이 우는 깊은 산골로 가 마가리에 살자
ナターシャを愛し雪はしんしんと降り私はひとり寂しく座って
焼酎を飲む
焼酎を飲み考える ナターシャと私は雪がしんしんと降り積もる夜
白いロバ に乗り 山里に行こう
チョウセンミソサザイがなく山里に行き あばら家に住もう
눈은 푹푹 내리고
나는 나타샤를 생각하고
나타샤가 아니 올 리 없다
언제 벌써 내 속에 고조곤히 와 이야기한다
산골로 가는 것은 세상한테 지는 것이 아니다
세상 같은 건 더러워 버리는 것이다
雪はしんしんと降り 私はナターシャを思い
ナターシャが来ないわけがない
もうすでに私の中にそっとやってきて話をする
山里に行くことは世の中に負けることではない
世の中のようなものは汚いから捨てるのだ
눈은 푹푹 내리고
아름다운 나타샤는 나를 사랑하고
어데서 흰 당나귀도 오늘밤이 좋아서 응앙응앙 울을 것이다
雪はしんしんと降り 美しいナターシャは私を愛し
どこかで白いロバも今宵が好きで ウンアンウンアンと泣くだろう
(訳は「白石詩集」青柳優子訳(岩波書店)より。問題あれば削除します。)
この詩の「ナターシャ」は自分のことだとヨンハンは言ったそうです。
ガイドさんが日本語に訳して碑の前で朗読してくれました。
3連目「ナターシャが来ないわけがない」ペクソクは駆け落ちしようと
ヨンハンを待っていたんですよね

「山里に行くことは世の中に負けることではない
世の中のようなものは汚いから捨てるのだ」この3連目あたりから
恥ずかしながら涙腺崩壊。。。
雪、白いロバ、など白い景色が浮かんできて、ヨンハンが初雪の降る日に
自分の遺灰をまいて欲しいといった遺言も思い出して。。。
うまく言えないんですけれど
そんなことが私の胸をいっぱいにしました。
またガイドさんの声がとてもよく、落ち着いたアナウンサーのようでもあり吉永小百合の
詩の朗読のようでもあり。。。ヨンハンが憑依したんじゃないかと思うくらい
涙がとまらなくなってしまい、困りました。まさか吉祥寺で泣くとはね。
机上でこの詩を読んでもここまで胸に迫ってこなかったと思います。
その地に実際行ってその話を聞いた直後のヨンハンとペクソクの碑の前での
詩の朗読。。。
その時は恥ずかしかっけど、今思うと旅の醍醐味だったなと。。。
その翌々日ソウルを発つ日に初雪が降りました。。。。
因みにこの詩は教科書にも載っているらしいです。
碑の写真も撮ったのですが、文字ばかり撮ることに気を取られ
全景がないろくな写真じゃないのでのせられません(苦笑
そこからさらに奥に進み、その無所有のお坊さんが生前よく座ってた
木の椅子などみました。本当にろくな写真がないです。
涙を止めるのに気を取られすぎていたせいでしょうかね。

すれちがったお坊さんがガイドさんに声をかけていらっしゃいました。
そして何やら一言おっしゃっていて
親しげな「〇〇ニム」という呼びかけだったのでお知り合いかと思い
今、何をおっしゃっていたのか、お知り合いなのか聞いてみたら、
「菩薩ニム(さま)」と呼びかけられて
「そんなに厚着して転んだら起きられないよ」と言われたそうです笑
「私、そんなに厚着かしらね〜」なんて笑っていたヨンランさん。
いえいえお坊さんが薄着すぎだと思う。薄着で平気なんですね。
「菩薩ニム」、、、って、女性を呼ぶときの敬称的な仏教用語?だとのことです。
日本ではそういうことは聞いたことないと思うので韓国では、だと思うのですが多分。
そうだな〜。全ての女性は菩薩じゃないですか。
多少、気にくわないことがあっても男性に対しても子供に対しても、隣人に対しても
菩薩のような心で許してあげたいですね笑
あ、だから自分のことも許してほしい笑