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ナムギル漢陽都城エッセイ2



見知らぬ所を旅行してみると,一人で言葉が多くなる時がある。
必ず誰かがそばにいるかのように。新しい空間が与える刺激のせいだろうか?
その未知の世界には新しい物語が隠れていて、
今とはまた違った瞬間に会うことになるという期待を考えさせられる。

そう普段私自身も気づかなかった私の中の人を見つけさせる。
結局、自分を幸せにすること、自分を不幸にすること、このすべての瞬間を
見えないように運用してきた私だけの価値は何か、考えさせる。


ㅣ私だけの価値は何だろうか

漢陽都城は私たちにそのような満たされた対話をするよう斡旋している。
この静かな旧道を黙って歩いていると、到底速射砲で降り注ぐその質問を
無視することができない。 そもそもこの旧道にはそんな力があった。

朝鮮八道すべての道は漢陽(ハンヤン)に通じて漢陽都城に着いた。
城門には絶えず人たちが行き来してその多くの足跡で擦り減った土の道には
人の生きる多彩な話が刻まれた。
そんなに当代の数々のストーリーは口から口へと、記憶で記憶に伝わってきたのだ。

その切れたように続く道一つ一つに刻まれた平凡ながらも特別だった話は
今私たちの世界を、時代をまた別のやり方で見つめさせ、
結局は私のところに行く道を見つけるようサポートする。

特別でも非凡なかった私たち普通の人たち。
いつか同じ学校、同じ教室に同じ世代を共有した私の友達、
私を私として存在する初の土壌になってくれた家族、
再び家族で家族で連結された私たち、
そのすべての隣人らが持つ本来の力を考えさせる。


ㅣ私のところに行く道

彼らは皆各自の道をつけてきた。 その道には自然にその時代の考えが
込められて命が集まって、それだけで一つの世界を作る。
それはすぐに一つの時代であり、歴史だった。
しかし、今はそのすべての人々に対する関心、
たった一人の小さくて些細な話について
温かい視線が希少になった。
今'家族''私たち'という優しい言葉がその語感も不慣れに感じられる。

何でも近く'共にする''同行する'は意味を辞書で見つけることができるかも、心では到底理解できない時代が来るかもしれない。 すでに今も気まずくないか? 共同の空間を共有するということ、一つの共同体の中で生きること、一緒にお互いの人生を助けるという

今私たちは完全に各自の空間に生きて幾重にも分離された時間の中で暮らしている。
ニュースではますます孤独死の話が増えて、老若男女が社会的疎外を心配する。
個人の暮らしの質を決定する幸福の条件に対する悩みを越えて、
一緒に'同行'するということについて真剣に答えを
探さなければならない時が来たのではないだろうか。

ㅣ生活の質を決定する幸福の条件

漢陽都城の城郭の村では、それでもっと特別だ。 そうだ。 我々は特に運が良かった。
今はソウルで消えてしまった小さい抜け道と路地を持つ、にぎわいある村。
住民たちが町を愛を感じて、すぐに誇らしくて保存することを望む村。
村のど真ん中の台に三々五々集まって日常を共有することをいとわず、
隣人たちと一緒にご飯と心を交わす小さな空間を持っている、
そのように喜んでともに共有する時間を守ってきた人たちが親しみを感じさせる。
記憶の向こうに薄れていったが優しい風景を漢陽都城に寄り添って
再び力一杯たて起こしてみたい。


600年を超える長い時間の間、漢陽都城が残してくれた私たちの生の記録、
山や野原と小川の水と共にしたその些細な人生の喜びを分かち合うべき時を
これ以上遅らせるわけにはない。
まるで草花を育てように詳しく見て、よく見て、また見て手入れすると、
いつまでもこの頼もしい城めぐりと一緒にいるという温かい想像をしてみている。

漢陽都城と600年を越えて同行した普通の人々の跡を思索しながら、
わたしを私としているようにしてくれる私だけの価値も相まって探すように
なることを願ってみる。
byキム・ナムギル


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